お坊さんの髪型は何故坊主頭にしないとならないのか、起源を調査しました

皆さんは何故お坊さんは頭を丸めて坊主頭にしなければならないのかをご存知ですか? しきたりや決まり事であると答える方がほとんどでしょうが、それはある意味正解で不正解でもあります。何故なら、日本においてはお坊さんは絶対に頭を丸めないといけないという決まりがないからです。あくまで宗派上頭を丸めなければならないというだけで、つまり宗派によっては髪の毛を剃る必要性がないわけです。ここでは、そうしたお坊さんの髪型に関する情報を紹介します。

元々の起源は中世以降に頭を丸めたものを坊主と呼んだ

古くから仏道に携わり修行する者は「僧侶」と呼ばれていました。
今では僧侶全体のことを指している「坊主」という言葉は、元々の漢字では「房主」と書かれていました。これは僧房、つまり僧侶の集まる場所の主(リーダー格) を指す言葉でした。ここから「房」の字が奈良・平安時代に区画された都の地区を指し示す「坊」の字へと変わり、また「坊主」は坊の主人だけでなく僧侶全体を指す言葉として広まっていきました。
この頃、房主に限らず僧侶の多くは宗派により頭を丸めなければならないという教えから丸刈りにしていました。ここから僧侶の髪形が「坊主頭」と呼ばれ、定着していくことになったのです。

元々「坊主」は特定の僧侶への呼び方でしたので、当時は坊主と呼ばれない僧侶もいました。坊主というのは自分の住まいを持っているいわば「住職」のことです。反対に、住まいとなる建物を持たない僧侶は「法師」と呼ばれていました。この区別は中世よりも以前にあったとされています。
実はキリスト教においても呼び方の違いは存在しており、カトリックにおいてミサや洗礼を執り行う者を司祭(司祭への敬称が神父です)、プロテスタントにおいて教会の管理などを行う者を牧師と呼んでいるそうです。「住職」と「法師」は立場の違いですが、「司祭」と「牧師」は宗派の違いから生まれた呼び分けだと言えそうです。

髪の毛を剃るかどうかは宗派次第

神社やお寺のような宗教施設で働く僧侶が頭を丸めなければならないかどうかですが、これについては、完全に頭を丸めた状態でないといけないものや一度だけ頭を剃れば良いものなど、宗派によって大きく異なっています。

元々の仏教を開いたお釈迦様は、修行中は坊主頭にしていました。これにあやかって日本でも多くの僧侶は頭を丸めていたと言われています。また、髪を剃ることで俗世と決別し雑念や煩悩を断てると考えられていたことも理由のひとつです。
しかし宗派のひとつである浄土真宗では、開祖である親鸞が髪を伸ばしていたため、必ずしも髪を剃る必要はないとされました。そのため、浄土真宗では門下生となるときに一度だけ髪の毛を剃る、または髪の毛に刃を当てるだけで儀式の完了とする場合もあるなど、宗派の中でも違いがあるようです。

また現代では、剃髪すべきだとしている宗派に属している僧侶でも、他の仕事をしている、女性だから、など様々な事情から髪を伸ばしていることがあるようです。こういった決まりは宗派だけでなく所属しているお寺によっても異なるようですが、やはり修行中は剃髪をしている場合がほとんどです。
宗教も時代の流れで変わっていくため、このように頭を坊主にすることにこだわらない考え方も誕生しているようです。現代においては”僧侶ならばはっきりと髪の毛を剃らなければならない”というルールはないようですね。

髪の毛は不要であるとされる理由

髪の毛は不要であるとされる理由

お坊さんが髪の毛を剃り頭を丸める理由は主にお釈迦様にあやかったため、また俗世と決別し修行の邪魔となる煩悩を断つためだと書きました。
ですがそれとは異なる説も存在しています。それは、あえて髪を剃ることで、第三者から言い寄られることを避け、人生を供にする伴侶を作らないようにするためだというものです。つまり、自分は魅力的な人間ではない、仏門に身も心も捧げた人間だと示す手段として剃髪を選んだということですね。

何故坊主にしないお坊さんが生まれたか?

ここで気になるのは、何故お坊さんの中には坊主頭にしない人がいるのかという点です。
文献に残っている坊主頭ではないお坊さんは、その多くが俗世間と深い関わりを持っていました。有名な人物であれば、一休宗純は髪を生やした僧侶として書かれており、俗世間と大きく関わっていた人物になります。俗世間と関わることで坊主頭であることを恥じたのか、それとも坊主頭でいる必要性が無くなったのかはわかりませんが、少なからず歴史に残る人物の中には僧侶でありながらも坊主頭ではない者もいて、そのほとんどは俗世とのつながりが強かったようです。

また浄土真宗においては、開祖が有髪であったことや、生まれたままの姿や人間のありのままが良いとするという考えから坊主頭にする必要性はないことを示しています。このように完全な坊主頭にしなくてよい理由は浄土真宗以外では明記されていません。つまり、頭髪を丸めないお坊さんは浄土真宗の考えを強く持つお坊さんである可能性が高いということになります。

まとめ

お坊さんが坊主頭にしていた起源や理由、またなぜ頭を丸めていないお坊さんがいるのかなどについて理解してもらえたかと思います。

現代の日本の仏教においては、意外に思われるかもしれませんが、お坊さんだから絶対に坊主頭にしなくてはならないというような決まりはありません。
宗派やお寺の考え方によって坊主頭にするかどうかが決まっている、というわけですね。

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